
photo by Alain Monot
ベトナムとガイアナの両親を持ち、アフリカとフランスで育つ。クラシックダンスをフランスのボルドーで、コンテンポラリーダンスのアメリカンテクニックをパリで学ぶ。
1979年、Catherine Diverresと出会い彼女と共にStudio DMを設立。日本滞在中に出会った舞踏の創始者、大野一雄氏に影響を受け、帰国後Catherineとの初デュオ作品を制作する。1983年二人で共同振付した作品「Instanse」は、ヌーベルダンスの衝撃的な作品として、フランスダンス界に伝説を残している。
1986年にはFrancois Verretとの新作デュオ「La Chute de la Maison de Carton (The fall of the cardboard house)」を制作。翌年、メキシコ人映画監督Teo Hernandezとの出会いから、彼の抵抗精神の過激な革新性に触発を受け、そのスピリットを反映したソロ作品「Pain de Singe (Monkey Bread)」を創作した。「Au crepuscule ni pluie ni vent ( At dusk, neither rain nor wind )」は、更にその精神を力強く打ち出した作品となった。
Catherineと共にレンヌ国際振付センター芸術監督に就任すると、彼自身のグループでの独自な手法を用いた創作に集中する。身体感覚の精錬、漲る生命力の感応、生きる希望を表出させた作品「Opuscules」を1995年に発表。また、作家でソリストでもあるPierre Guyotatとの共同制作「Isse Timosse」では、植民地時代の歴史を追い、人間の存在価値を問いかけた。
1998年、Jacques blancの演出でブレストQuartzにて「Ma Lov'」を発表。この作品はTamar Getter、作曲家Eran Tzurなどイスラエルのアーティスト達を起用し、領土と戦線をテーマに取上げた。
2000~2003年は、そのQuartzにて所属クリエーター/アーティストとして活躍。2000年に制作の「Dissection d'un home arme (Dissection of an Armed Man)」は、武装集団に焦点を当て今日のアフリカの荒廃を分析した作品となる。固体感覚の喪失から名も無き集団の存在意義までを、徹底的な皮膚感覚の分析を持って振付した。モンペリエダンスフェスティバルでの上演に、ゲストダンサーとして室伏鴻を迎え共演した。
また、Frederic Fisbachとの言語を用いた作品創作を継続的に行い、2001年2月にラシーヌの古典作品「Berenice」を上演。翌2002年2月には、ベルナルド単独でオセロの神話「O. More」を創り、ここで彼の創作の芯となっているテーマと疑問に再度向き合うこととなった。2003年7月、レンヌの芸術監督としてカンパニーDaniel Larrieuの公演を成功に導いた。
その後も、身体の感覚とその状態への考察を重ね、2004年に「Parcours 2C(Vobiscum)」、2005年「Coupedecale」、2006年「Batraciens s'en vont」、そして2007年には「Batracien」「l'apres-midi」を続けて発表し、フランスのコンテンポラリーダンスを代表する高い評価を得ている。現在、トゥール国立振付センターの芸術監督。