別府現代芸術フェスティバル2009


ジンミ・ユーン インタビュー

ジンミ・ユーン インタビュー

ジンミ・ユーン インタビュー

「別府現代芸術フェスティバル2009 混浴温泉世界」参加アーティストの一人ジンミ・ユーン氏が2008年5月9日-21日の期間作品制作のために来別しました。
滞在中の5月10日に開催された「ジンミ・ユーンが見るものー混浴温泉世界への誘い」(助成:アサヒビール芸術文化財団)にて総合ディレクターを務める芹沢高志氏と対談を行ない当フェスティバルへの思いを語って頂きました。

(ジンミ・ユーン)
今日はトークショーに来ていただいてありがとうございます。
みなさんにお会いできて、とても光栄に思っています。

これまで行なってきたすべての作品を説明する時間はありませんので、本日は代表的な作品を紹介していきたいと思います。
改めて、このような機会があることを嬉しく思っています。

(作品を見せながら)
これはカナダの絵葉書です。
私たちが「カナダ」という単語を聞いたとき、みんなそれぞれの「カナダ」というイメージを思い浮かべます。
この絵葉書では、人が誰もいない山の写真があり、手前にはその山々が反射しています。
この作品では、目に見えるもの、そしてその影に隠れているものに注目して欲しいです。そう、反射している部分です。

次に、私の初期の作品を見せたいと思います。
1991年、これは日本でも有名な観光地であるカナダのバンフで行ったものです。

これらの絵葉書を、お土産屋さんで作品として販売しました。
私が、バンフの有名な観光スポットに立っています。
それぞれの場所が、それぞれの歴史やストーリーをその背景には持っています。
写真はそれらの背景を伝える事ができると思います。
この作品でのテーマは、それらのさまざまな背景を持った土地に、韓国系カナダ人である私がフレームに入ることで、カナダという土地にどういうインパクトを与えられるか?ということです。
例えば、私がバンフでこの作品を制作していたとき、街行く人たちが私に「こんにちは」と声をかけていったこともありました。
私は、韓国から移住してきたカナダ人です。
彼らにとっては表面的な特徴から、私を日本人の観光客と思ったのでしょう。

次の作品です。
クローズアップされた見やすい写真を用意できなくて申し訳ないんですが、ここではカナダの有名な観光スポットに、有名な韓国人を入れて写真を撮りました。
ここでも、もう一度「韓国人あるいはアジア人をフレームに入れることで、カナダの歴史やその土地が持つ文化イメージにどうインパクトを与えるのか?」ということを意識しました。

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(ジンミ・ユーン)
次の作品は、写真集で表と裏があるので、それらを説明していきたいと思います。
これはプリンスエドワードアイランドという「赤毛のアン」で有名な島の、ある町で撮ったものです。
これはその土地に昔から住んでいた原住民の代表の写真です。
写真に写っているのは、実を言うとゴルフコースなんですね、このゴルフコースは彼らの土地の上に作られたものです。
プリンスエドワードアイランドというのは、農業がさかんな地域でした。
つまり、そこには農業に従事してきたその土地の人々のストーリーがあります。
しかし現在となっては農業だけで生計を立てるのは厳しく、多くの農家が観光で生計を立てています。

この写真を裏返すと、白人とアジア系の混血の家族が写っています。
つまり彼らはこの土地に関しては、外から入ってきた観光客のようなものです。

この写真で見えるのは、ふたつの世界大戦に関してのモニュメントです。
第一次世界大戦・第二次世界大戦・そして朝鮮戦争です。
その後ろ側には、カナダが独立国として成立し憲法を制定した場所を記念する史料館があります。
つまりここはとても歴史的な場所と言えるでしょう。
この写真を裏返してみると、兵士たちのモニュメントを小さな子供が見上げています。
とても小さく見えますが、彼らは兵士です。

いま見せた写真では、いつも表と裏の両面があることが分かっていただけたかと思います。
つまり、私は真実ばかりを伝えようとしているのではないのです。
アーティストの役目というのは、その光景に何か疑問を感じそれを見つけることにあるのだと、私は思います。

私は、写真だけでなく映像でも作品を作ります。
それでは最近の作品を見せていきたいと思います。
映像を使って表現したい事は、風景とそこで残る記憶についてです。
ある土地を映像として残し、それらをどこか別の土地であるかのように見せる。
例を挙げると、2003年には朝鮮戦争について作品を作りました。
その年はちょうど停戦から50年という記念の年でもありました。
朝鮮戦争はまだ終わっていなくて、停戦したままです。
そこで私はカナダの風景を、私の記憶ではないですが、自分の体を使うことで思い出そうとしました。

それぞれの映像による作品を作る時に、私は人から聞いた話を常に心に置いて、カナダの風景の中で、それらのストーリーを自分の体で表現しています。

この作品では、私は韓国のハン川で米兵が死体に向かって銃の練習をしている姿を撮りました。
その時に、私はそれまでに聞いてきた朝鮮戦争に関する話を意識しながら作品制作にあたりました。

(ジンミ・ユーン)
次の作品では、自分とその周りの環境との関係性に注視して作品作りをしました。
私は、自分たちは聞き伝えてきたストーリーを大切にし、いつも過去・現在・そして未来という時間軸を大切にしています。
このインスタレーションでは、人はどのように立ち上がっていくのかということに注目しました。
水平方向に世界を見るようになったのかということから、私は「這う」という表現方法を使い始めました。
街、特に街に溢れる建物はすべてが垂直方向に伸びていきます。
そこでそれらを水平方向から捉えるとどうなるのかな?と思いました。
作品の中に自然なものと不自然なものの両方を共存させることも、アーティストの役目のひとつだと思います。
そうすることで、同じ風景でも見る人は違った経験することが可能となります。
周りの世界を見る時には、その世界がどう変わっていくのかということも考えなくてはいけません。
この作品でも、私はその土地の歴史や記憶を大事にしました。
そこで、ソウルにあるアメリカ大使館から日本大使館まで這ったのです。
これらは、20世紀に韓国を治めていたふたつの国だからです。

この「這う」といった表現は少し奇妙かも知れません。
現代芸術ではアーティストは、絵や彫刻のように何かの姿を伝えるだけが役目ではなく、作品のコンセプトであったりアイデアを伝える事の方が大切になってきます。

別府に関しては、観光都市であるという点に注目しています。
特に温泉という、地中での活動、つまり目には見えない活動がどのような影響を人々に与えているのかということです。

私の過去の作品を、古いほうからざっと見せました。
現在はパリとバンクーバーでソウルについての作品展の準備をしています。
それらの作品を少しだけお見せしましょう。
この作品では、音が重要なパートを占めているのですが、あえて音量を下げることで何か違ったものを感じられるか試してみましょう。

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(芹沢高志)
ここからは僕も話しに加わって、ふたりで話をしていきます。

先にちょっとお話しておくと、2009年、来年の四月から六月まで現代芸術フェスティバルをしようとしているんですけれども、そこに9組のアーティストを世界中からお呼びしました。

で、この作り方においてですね、何か新しい出来上がった作品を持ってきて、美術館の中で展示するという方法をとりません。
こうやってですね、実際にアーティストの方をお呼びして、本番の始まる前にこうやって調査のためにご本人に来ていただいて、この別府の街を見ていただきます。
それでいろいろな事を感じてくれると思います。
そして我々とディスカッションして、ジンミ・ユーンさんの作品を(来年発表する)、この別府のために新しく作っていただきます。
そういうような形で、これからいろんなアーティストがいらっしゃいますけども、今回は第1回としてジンミさんをお呼びしています。

じゃあ、いろいろ質問したりしていきますけども、実は僕もジンミ・ユーンさんの昔の作品と言うのをこうやってまとまって観たというのは今日が初めてです。
というのはですね、いま(彼女の作品が)流れていますけど、僕が知っているのはこうやって彼女が
いろんな道を這っているという作品を観ていまして、なんか世界中でいろいろ地面を這っているんで、まぁ変わった人がいるなぁと思いまして、それで声をかけてですね、なにかここでやってくれるだろうと思いましたけれども、「這ってる人」と僕は思ってました。

1991年のバンフとか昔の作品を観ていると、こうやって直立してますよね、人間のモチーフとしても立っている人をよく撮られています。しかもポストカードとか写真という"still"の写真として表現されている。
でも最近は、こういう風に横になって、しかもビデオを多用されている。
昔やっていたことも、いま話を聴いてみると、ある風景の中に人物を入れて、その風景の持っている歴史や文化的な背景とか、記憶とかをこういう風にあぶりだしていく、見ているその風景から、それが隠して持っている、背後にあるいろんな隠されたことを表に出していく。というような事をされていたような気がします。
ただそのやり方は、と言うよりも彼女の強い関心のところは何も変わってない気がするんですけれども、でもやっぱりこういう風に直立して立っているのが横になって動いていく、という変化はものすごく大きかったと思う。
まぁ、端的に聞きますけど、どうしてそう変わってきたのかな?と

(ジンミ・ユーン)
私がカナダに移住したとき、私はまだ8歳でした。
それまでとは全く違った言葉や習慣に驚いたのを今でも覚えています。
そこで私は、どうしても本当の意味でのカナダ人にはなれないんだな。と感じました。
それまでの韓国人としての私のアイデンティティが当たり前のものではなくなっていきました。

例えば、移民に関して言えば、カナダに移住してきて何世代する中華系カナダ人は、いまだに「出身はどこなの?」と聞かれます。
しかしヨーロッパからの白人については、一世代そこに住むだけで故郷のアクセントが抜け、本当のカナダ人として見られるのです。
そこで私は、何故そうなってしまうのか?とても疑問に感じました。
カナダで、観光そして他の土地からの移民について、どのようなストーリーで語られているのか注目し始めました。

つまり私は実際に、それらの偏見について立ち上がらなければならなかったのです。
しかし、数々の作品を作っていくうちに世界はとても国際化してきました。
私は、多文化というのは、現代においてとても大切であり、またとても興味深いと思っています。
なぜならメディアを通しても、さまざまな情報が私たちには届いています。
いまの私のテーマは、「韓国人」や「カナダ人」といった固定されたアイデンティティではなく、その違った文化を持つ人々が、どのようにこの国際化した社会で生きていくのか?ということにあります。
そこで、私の作品も写真といった時間や場所を固定するものではなく、映像で表現する必要が出てきたわけです。